【実写映画版 カイジ、カイジ2】人気俳優を使う課題

奥様が2週連続で録画していたのを流し見しました

3作目が映画館でやっているので、テレビで過去の作品をやっているようです

 

日本で面白い映画ってどういうものだろう、と考えるきっかけになったので、そう言った視点で気になったところがありました

思った以上にジレンマというか、日本映画そのものの構造上避けられない問題点があったので、ブログで書いてみることにしました

 

 

問題点①

家なき子」の安達祐実の爆発事件やカミソリ混入事件にもあったように、役者と登場人物を混同するファンは必ず一定の人数いるため、役者のイメージ=登場人物や作品への影響が強く、割と物語全体の印象が変化しる事があります

 

例えば、カイジはギャンブルに目がなくお金にだらしない上に、お金に関しては割と重要な所で抜けてる人物となっていて、追い込まれた時はカリスマ性を発揮し、結果的に勝利する人物となっていますが、基本的に社会性のない人間として描かれています

 

これを見た目も俳優としての印象も良い藤原竜也が演じる場合、作品全体の根底にある酷い人物像が薄れ、物語の発端としてその時だけ借金を背負い、困難の末、仲間との信頼関係を結び、見事借金を返す所まで来ました、という話とすると、原作上自分のギャンブル依存症のような性格でも、ヒーローに見えてしまうように思います

 

加えて、舞台となる組織が非合法のような団体として描かれているのが、余計このヒーロー感を際立たせてしまっており、原作ではむしろ同じ穴のムジナとも言える両社のドロ沼の戦いが、悪役と正義のように描かれ要するにカイジに好感を頂くようになってしまいます

 

そして気付きます「藤原竜也の演技からだらしなさが感じられない」

 

問題点②

映画はエンターテインメントとして成立させるべく、人気俳優を使ってその映画の動員数を伸ばすというのが、売り上げの戦略としてあるため、人気俳優のイメージを崩すような印象を与えるような作りにしにくいという側面があります

 

番宣として、バラエティに出て撮影エピソードで俳優の人物像を作っているため、その印象が良ければ良いほど問題①の影響が強く出てしまいます

 

もし事務所側の戦略がその俳優を活躍させ、より多くの売り上げや視聴率を上げる事だとすると、そこは売り上げの責任を持つ意識の高い俳優ほどそのように行動し、発言している傾向があります

 

例として、やはり我らが木村拓哉のふと見せるプロ魂のようなものが、人気俳優故に良い意味での反対意見がなく本人任せになってしまっているように映ってしまいます

余談ですが、木村拓哉トムクルーズはプロ根性というか、主役として頑張って作品を盛り上げる、という俳優の姿勢が似ているように感じます

 

人気商売の難しいところです

 

問題点③

以上の内容から、その俳優はモデルと並んでもそん色のない外観を保ち続けるために、非常に多くのお金を使っていると思います

 

エステ、美容院、体のメンテナンス、サプリ、食事、全てに気を使い手入れをし、年齢からは考えられない容姿を維持するよう努めている方が多いですし、実際そのようなCMに起用されています

 

劇場版カイジ2に出てくるヒロインは、原作と違い劇場版カイジ1作目でカイジと屋上綱渡りをしたおじさん(石田光司)の子、という立場で出ていて、このおじさんは妻の借金取りに返すお金のためにギャンブルに参加している設定ですが、要するに相当経済的に苦しい家庭で育ったはずの女の子が、非常にツヤツヤの髪と綺麗な肌をしているのはちょっと合っていません

 

吉高由里子自身の生活では、普段から丁寧に手入れをしている姿のまま借金を抱え、それも非合法なギャンブルに手を出さなければならないほど切迫した家庭、の娘としてはちょっと不釣り合いです

 

じゃあ「誰なら良かったのか」というと、あまり俳優に明るくないため答えられません

 

感想

演技力が光れば光るほどこういう所が気になってしまいますが、そもそもこういう事を気にする人はファンではないので、配給会社のターゲットにいないのかも知れません

この記事を通して一番気にしなければいけないのは、自分自身の考え方ではないかと思いました

 

というのは、こういう視点で物事を発信した場合、引き寄せの法則から分析すると、こういう視点で誰かから評価されているとも言えます

もう少し素直に作品を楽しんで、「面白かった~」って言えば良いのかも知れません

今年はそういう作品がたくさん出てきますように。。。